高校時代ハイジャンプ選手として活躍しスポーツ特待生としての大学推薦入学を断り、歌手の道へ進む。上京し作曲家米山正夫氏の薦めでコーラスバンドに入り、1976年「小野満&スイングビーバーズ」の専属歌手になる。1978年 地元広島カープ応援歌「燃える赤ヘル僕らのカープ」でソロデビューする。1988年作詞家荒木とよひさ氏へ弟子入りし、1番弟子になる。1991年荒木作品「銀座」が35万枚のヒットとなる。現在全国ライブとテレビ、ラジオで活躍中である。